2018年12月15日(土)放送のNHK「ブラタモリ」(#121)は、なんと豊洲がテーマです!
「東京・豊洲 ~TOKYOサポーターは豊洲にやってくる!?~」と題し、案内人には芝浦工業大学でまちづくりや都市計画を教えている志村秀明教授が担当されます。
当記事では、ブラタモリの公式サイトが11月22日に公開した予告編で明らかになった放送内容を基に注目ポイントを解説。さらに当サイトでこれまで取り上げてきた情報を付与してお届けしたいと思います!
タモリさんが運河から豊洲の歴史を振り返る
事前にわかっている情報によりますと、タモリさんたちは水陸両用バス「スカイダック」に乗り、豊洲埠頭の付け根にある東電堀のスロープから東雲運河へ入水しました。
水陸両用バスに乗りながら、豊洲の歴史を振り返るもよう。運河を航行するとすぐ左手に見える、長さ3.5kmにおよぶ旧防波堤を話題に取り上げます。
昭和初期、まだお隣の有明エリアが埋め立てられる前になりますが、東京港を高波から守る防波堤として活躍しました。その後、貯木場として利用。この一帯の運河が木材で埋まっている写真を見たことがある方も少なくないでしょう。
ちなみに、防波堤の南は有明親水海浜公園として整備されるエリアになっていて、ここは現在の景観を残しつつ、すぐ奥の有明側の沿岸には砂浜が敷かれる計画が進められています。ちょっとしたビーチができるようで、憩いの場になるのが楽しみです!
昭和初期、豊洲で開催されるはずだった“幻の万博”
また番組では、幻の万博として知られる日本初の国際万国博覧会の話題にも触れるもよう。
1940年(昭和15年)に豊洲・晴海で開催される計画だった万博は正式名称を「紀元2600年記念 日本万国博覧会」といい、開催準備は進んでいたものの日中戦争に突入で中止となったため、幻の万博と言われています。
ちなみに、1970年(昭和45年)に大阪で開催された大阪万博こそがまさにこの日本万国博覧会だったりします。
現在の豊洲市場などのある豊洲埠頭(豊洲6丁目と全部と豊洲5丁目の一部)は豊洲エリアで最も埋め立て時期が遅かった場所。それでも戦前から埋め立て工事が行われていたんですよ。しかし、戦争の開始で工事は一時中断。
終戦後に埋め立てが再開され、戦争で焼け野原になった東京復興の要として豊洲埠頭が誕生しました。石炭置き場、ガス工場、火力発電所、製鉄所などができ、都営のSL貨物が走っていたのです。
歴史が浅い豊洲といえども、この数十年の間に景色は大きく変わりました。東京の復興と日本の高度経済成長を支えてきたこの街の様子をブラタモリがどのように放送してくれるか非常に楽しみです!
豊洲駅近くにある“謎の坂”
さらに、そんな豊洲埠頭の根本にあたる豊洲公園と豊洲駅の間にあるのが“謎の坂”。東京消防庁深川消防署豊洲出張所のあたりと言ったほうがわかりやすいでしょうか。
筆者は豊洲に引っ越してきてから、どうしてここだけ不自然に盛り上がっているのかが疑問でした。
この坂はゆりかもめ駅の下の道路部分だけが盛り上がっています。すぐお隣の豊洲五丁目公園は平らですし、逆のららぽーと側も平らになっています。どうしてこの道路だけが盛り上がっているのでしょうか。
SKYZやBAYZにお住まいで毎日駅との間を往復をされてる方であっても、なぜここが坂になっているのか知らない住民さんがほとんどでしょう。川があって橋がかかっているのなら話はわかるのですが、豊洲のどこを見てもこのような坂があるのはこの場所だけなんです。
筆者は詳しい方から教えてもらったのでこの答えを知っているのですが、あえて記事内では触れないでおこうと思います(^^) ブラタモリでこの“謎の坂”の全容を解明してくれることでしょう。
「豊洲ベイサイドクロス」も登場する!
そうそう!気になるのがタモリさんたちが訪れた、ある建設現場。ブラタモリの公式サイトに載っている写真の場所はまさしく豊洲で一番の注目建設現場と言っていい「豊洲ベイサイドクロス」の最上部です!
2020年春の開業に向けてホテル、オフィス、商業施設といった複合ビルが建設されている最中なのですが、ブラタモリ御一行はその現場最上階から撮影していたもようです。高いところが苦手なタモリさん、大丈夫だったのでしょうか?(笑)
下は2018年1月の様子ですが、今と比べたらずいぶん低かったんですね〜。(とよすとのInstagramアカウントより)
ということで、45分の放送時間のなかで豊洲のことをギュッと凝縮して紹介してくれる「ブラタモリ #121 東京・豊洲 ~TOKYOサポーターは豊洲にやってくる!?~」は2018年12月15日(土)19時30分より放送です!