豊洲は大正時代から昭和にかけて埋め立てで生まれた地です。
歴史を紐解いていくと、造船需要の高まりとともに昭和初期には東京石川島造船所(現在の株式会社IHI)の造船工場などが立地し、越中島と豊洲石炭埠頭をつなぐ「深川線」や豊洲で分岐して春海橋を渡って晴海埠頭とをつなぐ「晴海線」といった東京都港湾局の専用鉄道が通り、日本産業の急速な発展に貢献してきました。
今ではタワーマンションとオフィスビルが立ち並び、ここがかつて重工業地域だったというイメージはどこにもありませんが、そういった遺構は今でも豊洲のあちこちで見ることができます。
実はずいぶん時間が経過してしまいましたけど、とよすとでは遺構をめぐるフォトウォークを2016年の春・夏に行い、昔ながらの面影が残る場所や街中にオブジェとして残っているスポットを写真に撮ってきました。
今回、それらの写真を豊洲の歴史とともにご紹介したいと思いますので、読者の皆さんには豊洲ってこういう場所だったのか〜とちょっとでも面白いと感じていただけたら幸いです。
石川島播磨重工業・造船所跡
大規模な造船工場を持ち、豊洲に広大な土地を持っていたのが石川島播磨重工業、現在の株式会社IHIです。
1990年代に同社が造船事業を廃止したことをきっかけにして豊洲の再開発が始まったと言っても過言ではありません。
東京都江東区豊洲2丁目区画整理事業の一部として進められた再開発地域が「アーバンドック」と呼ばれるエリアで、「アーバンドックららぽーと豊洲」やららぽーとに隣接するタワーマンション「パークシティ豊洲」(三井不動産)です。
ドックとは船の建造、修理、係船、荷役作業などを行う設備のことで、名前のとおりららぽーと豊洲には実際に使われた船のドックがそのまま使用されています。クレーンもたいへん魅力的です。
また、周辺の歩道や植え込みにも造船所や船のパーツがそのままオブジェとして残っています。
そんなIHIの本社は豊洲3丁目の豊洲IHIビルにあり、1階の「i-muse(アイミューズ)」では石川島播磨重工業と豊洲の歴史などを細かく見学できるのでオススメのスポットです。
晴海線・深川線の線路跡
豊洲には現在、地下鉄東京メトロ有楽町線とゆりかもめといった2つの列車が運行していますが、その昔、地上にはたくさんの線路が敷設され鉄道が運行していたんです。
第二次世界大戦後に豊洲埠頭の工事が再開すると、1953年(昭和28年)には越中島駅から豊洲石炭埠頭(がすてなーにや東電堀付近)の区間を走る貨物鉄道「深川線」が開通、東京都港湾局専用線として運行を開始しました。
さらに深川線はその先の豊洲埠頭まで延びました。つまり、豊洲では今としては非常にレアな都営の貨物線が走っていたわけです。(下写真・出典:東京みなと館)
ちょうど現在の豊洲シビックセンター付近で深川線が分岐した「豊洲物揚場線」も誕生。
さらに、1957年(昭和32年)には同じく深川線が現在の豊洲北小学校付近で分岐し、晴海運河をまたぐ旧晴海鉄道橋(春海橋に並行して走る赤橋)を通って晴海埠頭まで続く「晴海線」が開通しました。(下写真・出典:東京みなと館)
石炭やコークス、鋼材、鉄鉱石などを運搬する貨物需要の拡大に対応し、ピーク時の1967年(昭和42年)に運行した貨物列車は深川線・晴海線の合計で1日22往復にもおよびました。(下イラスト・出典:Wikipedia)
しかし、モータリゼーションによって鉄道輸送からトラック輸送へと変化し、エネルギー革命の進展でガス輸送は減少。専用線の需要はみるみる減っていき、1977年(昭和52年)の東京ガス専用線の廃止から次々と東京都の専用線は姿を消していきます。
1986年(昭和61年)に深川線の大部分が廃止し、最後には晴海線が1989年(平成元年)2月10日に廃線となりました。
現在、豊洲ではその名残を意外にもたくさんの場所で発見することができます。
まず、一番目立っていて有名なのが先ほどもご紹介した晴海線の通っていた「旧晴海鉄道橋(春海橋梁・赤橋)」です。豊洲と晴海を結ぶ春海橋に並行して走っていた鉄道の橋部分で、ららぽーと豊洲のすぐ近く。
残っている東京都港湾局専用線の遺構としては最大規模のものだそうです。
ちなみに、(2021年5月現在)「旧晴海鉄道橋」は整備・工事中で、2025年ごろを目処に遊歩道にするための工事が行われています。
また、豊洲北小学校周辺には当時このあたりに深川線が通っていたことを感じられる線路跡があり、さらに豊洲北小学校とシティタワーズ豊洲ザ・ツインの間を抜けて東側の豊洲運河に行くと、豊洲と越中島をつなぐ橋梁があったことを物語る橋脚が今も残っています。
IHI本社のある豊洲IHIビルの外やららぽーと豊洲、さらに街の歩道には当時の線路をそのまま再利用したオブジェがところどころに見られます。
東電堀
豊洲5丁目と豊洲6丁目の境目に位置し、昭和大学江東豊洲病院、豊洲西小学校、豊洲六丁目公園、キャナルプレイス豊洲、パークアクシス豊洲キャナル、BAYZ TOWER&GARDENに囲まれた東雲運河の一部が「東電堀」と呼ばれる場所です。
この場所がどうして「東電堀」と呼ばれるのかというと、その名の通りここは東京電力の火力発電所「新東京火力発電所」に隣接した人口の入江だったからです。火力発電所は1号機から6号機が稼働し、都内の電力供給に貢献しました。
再開発後は「豊洲ぐるり公園」の端に位置し、ずいぶんと見た目は変わってしまいましたが、堀の形はほぼ当時のままなので現地に行ってみると何となく雰囲気がわかりますよ。(下写真・出典:東京みなと館)
東電堀は実際に大型船舶が出入りしていたため十分な広さがあることや波がほとんどなく、マリンスポーツを楽しむ場所として密かに注目されています。
豊洲の東電堀とお台場間を結ぶ水陸両用バスの離着水場所となるスロープが完成し、お台場側のスロープの完成する2017年春以降に水陸両用バスの運行がスタート。
また、カヌーの発着が可能な浮き桟橋も設置されています。周辺ではときどきSUP(スタンドアップパドルボード)を楽しむ人も見られ、SUPの乗降場としても活躍しそうです。
→ 水陸両用バスの船着場(スロープ)にカヌーの係留に必要な浮桟橋ができてた
豊洲三丁目公園のりんごの木
知らない人が多いのが、豊洲三丁目公園にあるりんごの木。夏になるとこのようにしっかり可愛い実がなります!
実は5種類のりんごの木がありまして、しっかりと豊洲の歴史と関係があるのです。それは昔から豊洲に住んでいる皆さんと、とある地域とのつながりでした。
変化の激しい豊洲の歴史は面白い
豊洲の歴史と遺構をめぐる写真はいかがでしたでしょうか?少しでも豊洲に興味を持っていただけたら嬉しいです。
今回ご紹介した各スポットはこちらの地図にまとめてありますので、どうぞご活用ください。
2016年12月には「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」がオープンし、2017年3月にはTBSの360°劇場「IHI ステージアラウンド東京」がこけら落としを迎えます。
そして、築地からの移転が先送りされた「豊洲市場」の開場と周辺約5kmもの「豊洲ぐるり公園」のオープンが早ければ2017年中には実現する予定です。短い期間に激しい変化を続けている豊洲はこれからも目が離せません。
今回、東京みなと館(一般社団法人東京都港湾振興協会)さんが公開している資料写真を転載させていただき、昔の様子をご紹介しました。東京みなと館さん、どうもありがとうございます。
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