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豊洲の賑やかな水辺・スポーツ・緑の広がる姿が見えた!「KOTO水彩都市フォーラム2017」発表まとめ

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2017年10月3日(火)、水辺に囲まれた豊洲の過去と未来を語るイベント「KOTO水彩都市フォーラム2017」が豊洲文化センターホール(豊洲シビックセンター)で開催されました!

主催のKOTO水彩都市フォーラム2017実行委員会は豊洲地区運河ルネサンス協議会、江東区水辺に親しむ会、江東区CIGビジョン推進会議で構成され、まさに江東区の企業や大学、住民が協力して豊洲を盛り上げていこうといった皆さんです。

登壇者による発表は街が辿ってきた歴史からはじまり、水辺に恵まれたこの場所でどんな可能性があるのかなど、どれもたいへん興味深い内容で素晴らしいフォーラムとなりました。筆者は一参加者としてお話を伺ってきましたので、その様子をレポートしたいと思います。

 

来賓挨拶

江東区区長の山崎孝明氏は体調不良のため残念ながら欠席となりましたが、代わりに豊洲商友会会長の渡辺哲三氏が開会の挨拶に立ちました。

「(このフォーラムは)豊洲の未来について語ろうという会ですので、どうぞ楽しんでいってください。豊洲は素晴らしいポテンシャルを持った街だと思います。住みたいね、住み続けたいね、遊びに行きたいね、と言われるのが最大の喜びですから、まぁ、市場問題や千客万来施設も来てもらえるかわかりませんが、絶対に市場とともに来てもらえることを約束してもらわなきゃならない。(9月9日の豊洲市場見学会の際に)小池都知事と話す機会をもらったんですけど、難しいともできるとも何も言わないで完全なスルーだったので寂しい感じがしたんですが、江東区にとっても賑わい施設のない豊洲市場はありえないので、(千客万来施設には)絶対に来るようにしてもらいたい」

と、豊洲の可能性に触れるとともに、気になる市場移転問題についても言及しました。

 

 

「豊洲は昔、こんな場所だった」を写真で振り返る

続いて、豊洲自治会町会連合会会長の小安勤氏と渡辺氏が豊洲の写真をスライドで見せながら豊洲の昔話をしてくださいました。モデレーターは芝浦工業大学教授の志村秀明氏。

 

【晴海通りの豊洲交差点の写真】

小安氏:この地区は水商売的な店が3軒ありました。裏には社宅の長屋、寒天工場とか資材置き場、あとは野っ原でしたね。小さいときはちばやという飲食店をやっていて、昼は石川島(石川島重工業)の人にお弁当を売って、夜は居酒屋として夜中の2時まで飲み屋をやっていたので、小学校のときはうるさくて勉強できなくて。あの辺りを遊び回っていた懐かしい時代でしたね。

小安氏:石川島は船が完成すると、進水式を地域の人が見られるように解放していた。くす玉から鳩が飛び出して。何回か見ましたね。
志村氏:華々しい風景が想像できますね。

【豊洲5丁目側から豊洲4丁目を見た写真】

渡辺氏:後ろに豊洲小が見えますね。手前が今駐車場(豊洲駅前コインパーキング)になってるところです。

小安氏:前にキャデラックが置いてあるのが象徴的ですね。近隣が工場なので、奥に見える病院(豊洲厚生病院)にはよく工場で怪我した人が運ばれていました。

 

【豊洲5丁目商店街の写真】

渡辺氏:当時、風呂屋さんがあって、その隣が私の育った三栄堂です。この時代はプロレスが盛んで電気屋さん(宝電機)の前のテレビに集まりましたね。

小安氏:当時、内風呂がなかったんですね。(銭湯の)お風呂で夕方まで入ってると、芋洗い的になってましたね。4丁目と5丁目に2つのお風呂屋さんがあったんですが、5丁目のシエルタワー開発のときにお風呂屋さんがなくなりました。

渡辺氏:当時、自家製のアイスクリームを作ってたんですよ。地下水を冷却水にしてましたね。メタンガスも出てたので、マッチをつけるとボーボー燃えたのを思い出しましたね。

 

【豊洲商友会創立50周年の記念誌】


渡辺氏:豊洲商友会創立50周年ってことは私が50歳のころだと思うですけど、右上は地下鉄の豊洲駅の開通(1988年)をお祝いしたときの写真です。御神輿も出たんでしたっけね。昭和24年(1949年)に商友会ができました。戦後、都営住宅ができ始めて、地域の企業の方の社宅や独身寮ができると今の4丁目を分譲しはじめました。セブンイレブンとかいちむら肉店とかあのあたりの分譲が一番でしたね。私の親が今のSAKURAというケーキ屋を昭和24年(1949年)にオープンしました。私が産まれてからオープンしようとなってたそうなんですが、私がなかなか出てこないので店の方が先にオープンしちゃった。私と三栄堂は同じ年なんです。

※写真をよく見てみると、1988年(昭和63年)の地下鉄開通を祝うイベント「とよすフェスティバル」には3万人の人出で賑わったんだとか。

 

志村氏:いかがだったでしょうか。お二人には一般の人が住み始めたあたりから話をしていただきました。町に対する愛情を感じていただけたのではないでしょうか。

渡辺氏:最後にもうひとついいですか。IHIをはじめとする企業が移転を始め、働く人口が減ったときに、次の施設ができていない時代があったんですね。でも、豊洲駅ができたことは豊洲の町がまた一歩変わる大きな出来事だったのかなと。それから2006年にゆりかもめ(豊洲駅)ができて、芝浦工業大学やららぽーと、(翌年に)豊洲北小学校もできた。そういったことが今の豊洲になる大きな変化だったと思います。これからも豊洲は変わっていって素晴らしい街になっていくと思うので、我々も協力できたらいいなと思います。

 

 

スポーツ・水辺・緑の未来を語る

後半では豊洲の可能性を探るヒントとなるであろう御三方のプレゼンがありました。

河西徹氏(スバル興業 マリーナ事業部 ビジネス&プロダクトマネージャー)は「豊洲ウォーターフロントの魅力と未来 水辺のアクティビティの可能性」という題で発表。以下、内容のまとめです。

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日本では学校のヨット部のように学生の間でしかヨットに接することができない場合が多いんですが、海外では街のなかにヨットクラブがあり、大人になってもヨットに接することが出来ます。

日本にはヨットマリーナがあるが、マリーナは夢の島のように人があまりいない場所に作られることが多く、先日の豊洲水彩まつりのように都心のド真ん中でセイリングができる場所は非常に限られています。実は晴海埠頭やお台場のあたりでやると捕まってしまうんですね。これをぜひ変えていきたいと思っています。

街の中で船に触れる環境がどうしてないのか疑問。海外の水辺の街は当たり前に街のなかに桟橋があって船が停められるようになっています。豊洲は東電堀だけでなく、ららぽーと側も整備して船が停められるようにすれば豊洲のブランド価値が上がると思います。何より、子どもが大人になってからも船で遊べるような環境をもっと整備するべきです。


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続いて、黒野崇氏(BEACHTOWN CORPORATION代表)は「健康、社会、環境とアウトドアフィットネス」と題した発表でした。以下、内容です。

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健康と美は永遠のテーマ。しかし、日本のフィットネスはほとんどがインドアで行われています。部屋のなかでマシントレーニングを一生やっていけるのか疑問に思い、そこで我々はアウトドアフィットネスをビジネスとしてやっています。

芝生でヨガをやったり。ただ、日本には四季や雨の日があるため、年間でサービスを続けるには屋内施設も必要だったので、地域の空き家対策を活用して古民家を屋内スタジオとして導入しました。

2007年ごろから皇居周辺でのランニングが人気化し、750万人が週に1度ランニングする時代に。総合フィットネスの総人口は350万人と言われている中で、ランニングを楽しむ人がいかに多いかがわかります。ノルディックウォーキングはランニングに比べてシニアの方が気軽に始められます。また、水辺ではSUPを始める方が多くなってきました。SUPは水辺のスポーツとしては簡単に始められます。バランスを取りながら自分の筋肉だけで前に進むスポーツだから鍛えながら楽しめるスポーツです。

アウトドアのスポーツを日常の健康づくりとしてご紹介しましたが、どれも2時間以内で終わるスポーツばかり。それをサービスにしまして、全国23都市でいろいろな企業とタイアップして展開しています。アウトドアフィットネスは未病対策、移住促進・雇用促進・遊休地対策、環境保全などのメリットがあります。

(アウトドアフィットネスパークのイメージ図を公開)豊洲ぐるり公園のオープンをきっかけに、生涯スポーツを続けられる街づくりをぜひ行っていきたいです。
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最後に、室橋智氏(江東CIGビジョン推進会議代表)は「水と緑豊かな、環境にやさしいまち豊洲」という題で発表を行いました。

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まずCIGとは、江東区の緑化推進事業の考え方のことです。CITY IN THE GREEN。要するに緑の中に都市を作ろうということ。緑の中で暮らそうということです。これを民間で応援しようと、江東CIGビジョン推進会議を2015年に結成しました。街路樹の景観向上のための提案や、東京オリンピックに向けたおもてなし空間創出のためのシンポジウムなどを行ってきました。亀戸駅前の花壇の整備・維持も行っています。

これからは豊洲グリーンエコアイランド構想の実現と、豊洲ぐるり公園の新しい取り組みを成功させたいです。KOTO水彩都市フォーラム2016に参加したときに、豊洲は水辺が広がっていて水辺と緑のあり方、そこに住まわれている皆さんと環境を構築したいと感じました。

豊洲の方々と交流する機会があり、今回のフォーラムの実行委員会のメンバーに加えさせてもらいました。具体的には豊洲公園のコミュニティガーデンづくりを応援することに。10月5日には豊洲公園でコミュニティガーデンづくりの講座をやったり、今後は公園の花壇を整備することにもなっています。

今後、豊洲の緑はどうあるべきか。専門家の立場から考えてみました。豊洲には街路樹や公園の緑、マンション・企業などの緑があります。素晴らしい緑のインフラが整備されていて、江東区のなかでも最高級の緑のグレードではないかと思っています。ただ、植栽されたばかりで成長途中の緑が多い。また、豊洲公園の緑は枯れかかっている木や樹勢が弱っているものもあります。彩りがもう少しあった方がいいです。

そこで提案したいことは
①みんなで豊洲の緑を育てよう
②公園と周辺マンションの緑が今はバラバラになっているが、連携して管理
③住民とともに彩りのある緑づくりを。少しずつみんなの手で植えて、種をとって、翌年にまた苗を育てて植えるなど。そういったコミュニティガーデンや菜園を増やしたい。花いっぱいで東京五輪を迎えたい。
④住民とともに自然環境向上の取り組みを行う。野鳥の観測とか。剪定枝などの再資源化も。

ぜひ、これから豊洲のみなさんと共に地域の緑化を行っていきたいと考えています。
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将来の豊洲について各自の意見

河西氏:
水に触れないと海好きにはなれません。都心のド真ん中でカヌーやヨットに乗れる豊洲は本当に日本では珍しい場所。日本橋など管理されていない場所でやってる人がときどきいますが、あれは非常に危ない。(豊洲の)東電堀でできるのは本当に感動しました。あそこを日常的に水辺を楽しめるように、啓蒙をやっていきたいです。水辺なくしてオリンピックは成り立たないと思います。ららぽーと側にもなんとか桟橋を作って、水運が発達していくと良いなと思います。

黒野氏:
健康という視点で2つ。スポーツを通じて健康になるには日常的に継続しなければなりません。公園や歩道には照明など整備が必要です。水辺については、桟橋に出たくても柵に鍵がかかってるとか、ガイドが必要とか、自由に使えない環境だとイベントベースにとどまってしまいます。人が日常的に楽しめる環境づくりが重要だと考えています。

室橋氏:
花を植えるだけでなく井戸端会議のような地域の人が触れ合えるコミュニティが必要。花壇だとお金がかかって大変な部分もありますが、最先端な取り組みとしては種をとってそこから苗を作り、みんなで楽しくて継続的に運営できるといったやり方もあります。そういった草花を取り入れた環境づくりができたらいいなと思っています。また、豊洲は街路樹の管理手法が整っていないので、剪定の仕方がまちまち。せっかく育った緑林がなくなってしまいそれがまた伸びるには何年もかかっちゃう。地域の風格でもある街路樹のキレイな街をつくりたいです。

志村氏:
(フォーラムのまとめとして)水辺、スポーツ、緑は関連性があるので、それが融合することで魅力的な将来像が描けると確認できました。運用方法をうまく考えないといけなくて、そこで市民の力が街づくりにつながると感じました。

また、志村氏は豊洲地区運河ルネサンス協議会の活動範囲に東電堀が認められるようになったことを併せて発表しました。

 

 

豊洲☆アイドルスター学園

フォーラムの間では、豊洲☆アイドルスター学園による力強いパフォーマンスも大いに会場を盛り上げてくれました!


 

「KOTO水彩都市フォーラム2017」でいろいろな方々から話を聴き、これまでも、これからも、豊洲の街を盛り上げていこうという人がたくさんいることがわかりました。そして、都心でこんなにも水辺に囲まれている場所は他にないことと、それを活かせるポテンシャルを十分に持っているのがここ豊洲であると。

各自・各団体がばらばらに行動するのではなく、こういった活動がきっかけになって皆で協力し、水辺の活用やアウトドアスポーツ、公園・沿道の緑化整備などが実現されるよう、一住民として期待しています。また、とよすとではこういった活動を強く応援していきたいと考えています。

 

→ 豊洲の過去と未来を語る!「KOTO水彩都市フォーラム2017」が10/3開催へ

 

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