江東区文化観光ガイド事務局が主催する「まちあるきイベントツアー ラ・ラ・ラ もっと知りたい豊洲」が2017年5月24日からスタートしました。27日(土)まで毎日開催されます。
月島駅を出発して、豊洲の観光スポットを回りながら豊洲駅前のシビックセンターがゴールの、約3時間におよぶ街歩きイベントです。
初日となった24日、筆者は10時の回に参加。特に取材というわけではなく、街歩きを楽しんできましたよ♪
この回には全部で27名が参加し、2チームに分かれて出発。こちらのチームには男性のガイドさんと女性のガイドさんのお二人が案内してくれました。ひとりひとりワイヤレスイヤホンが配布され、片耳にイヤホンを付けることでガイドさんの解説を聞きながら散歩することができます。
それでは当記事では「まちあるきイベントツアー ラ・ラ・ラ もっと知りたい豊洲」で体験したことを、各所の解説と写真付きでレポートしていきたいと思います。
以下、レポートです。
月島
ツアーはまず大江戸線・月島駅に集合。ここから地上に出て豊洲へと向かいます。月島には70〜90件ものもんじゃ屋があるそうです。もんじゃが好きな人は月島に何度も訪れているのではないでしょうか。そういえば、筆者はまだ月島でもんじゃを食べたことがありません(^_^;) お好み焼きの方が好きでして。。。(笑)
朝潮大橋(あさしおおおはし)
東京海洋大学の「明治丸」は現存する鉄製の最古の船です。一般公開されています。明治丸は明治政府がイギリスに発注したもので、灯台巡視船として使われていたのですが、何かあったときに政府の偉い人を乗せて逃げる裏の目的もあったそうです。
また、小笠原の領有権問題が発生した際、イギリスよりも速く小笠原に到着し、日本国の旗を立てて領有権を主張したときに日本政府の調査団が乗っていたのがこの船だそうです。明治丸は7月20日が海の記念日となるきっかけにもなりました。
貯木場跡
豊洲1丁目の北にある、この柵のようなものは貯木場だった跡です。
佃水門
高潮から守る佃水門。
佃島について
徳川家康からの命令を受け、摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区)から移住してきた漁民たちが作った街が佃島。
隅田川河口の島で、明治時代になって北に位置する石川島を合併して佃島という町名がつきました。佃煮の所以がここですよね。
埋立地の話
隅田川が土砂を運んでくるため、その土砂を使って埋め立て、月島が誕生しました。ご存知のとおり、晴海も豊洲も埋立地で、隅田川の土砂や関東大震災の瓦礫で埋め立てられました。
相生橋(あいおいばし)
月島と越中島を結ぶ橋。その右手にはスカイツリーや明治丸が見えます。森みたいになってるところは島だった。
この橋に水道管がかかって、越中島から月島に水道が通ったとのこと。佃大橋、勝鬨橋(かちどきばし)もでき、都心部と行き来できるようになりました。
日本ユニシス本社
リオ五輪で金メダルを獲得した女子バドミントンの松友美佐紀選手、高橋礼華選手、銅メダルの奥原希望選手の3人が広報部に所属していて、オフィスでばりばり働いています。
なお、天気予報の風向きを表してるシステムは日本ユニシスが作ったものだそうです。歩道橋が2本ありますが、奥の歩道橋は江東区のものですが、手前の歩道橋は日本ユニシスが自前で作った歩道橋です。
IHI本社
その昔、豊洲には大規模な造船所がありました。江戸幕府の命令を受けた水戸藩が現在の佃に位置する石川島に造船所を創業。1853年の黒船騒ぎがきっかけで大きな船を作ることになりました。明治時代に石川島造船所を設立。
1937年(昭和12年)に豊洲の地名が誕生した後に、豊洲で造船所を建設。合併で石川島播磨重工業となった後も2002年まで豊洲(東京第1工場)で操業し、事業は横浜(横浜第3工場)へ引き継がれました。
2007年にIHIへ商号変更しています。同社は豊洲の多くの土地を所有していました。
春海橋
東京都港湾局専用線の貨物列車が越中島から豊洲エリアまで来たあと、春海線、深川線として通っていました。1941年(昭和16年)に晴海が埠頭(船着場)としての機能を開始。
しかし、モータリゼーションでトラック運送が主流になり、貨物線はだんだん利用されなくなります。それでもわりと最近の1989年(平成元年)まで利用されていました。
春海橋は東京都港湾局専用線の線路が今でも残っている珍しい場所です。
なんと、春海橋はサビを皮膜にして中を強くする仕組みになっていてかなり丈夫なんだそうです。痛みがひどいように見えましたが、わりと大丈夫みたい。
ガイドさんが1988年(昭和63年)にここを走っているディーゼル機関車の写真を見せてくれました。そういえば、『西部警察』ではこの春海橋でロケを行ってたようですよ。
パークシティ豊洲
パークシティ豊洲あたりの場所は自衛隊の護衛艦を作る場所だったそうです。
アーバンドックららぽーと豊洲&春海橋公園(東京都立)
石川島の造船所があり、浸水式をやると奥のは晴海大橋まで滑って行ってしまうのでタグボートで押さえていたそうです。今は子どもがたくさん遊べるいい場所です。
日本で最初の万博は豊洲・晴海のはずだった
知らない方も多いと思いますが、昭和初期に晴海・豊洲では万博(日本で最初の国際万国博覧会)が開催される予定だったそうです。
そして、東京市庁も晴海(現在のトリトンスクエア)に移る予定だったというのですから驚きです!
しかし、戦争ムードの高まりで1938年(昭和13年)ごろに万博の一時延期が決定。中心ではなく延期。
その後に開催された大阪万博や愛・地球博ではこの幻の晴海・豊洲万博のチケットが利用でき、実際に何千枚ものチケットが使われたんだとか。なんか、もったいないですね(^_^;)
ただ、1939年(昭和14年)に石川島がここに造船所を移してから、ここでの万博開催は非現実的なものへとなっていったそうです。今では買い物やデートスポットとして利用されていますね!
歩道にはこの地で建造された船の名前が刻まれています!
東京クルーズも魅力的!
がすてなーに
屋上からの見晴らしがいい「がすてなーに ガスの科学館」。晴海大橋、一般開通されていない豊洲大橋。東京タワーも見えます。がすてなーにへは多い日で300名が訪れるそうです。学校の授業など団体で訪れることが多いんだとか。
豊洲5丁目、豊洲6丁目を散策へ
女性ガイドさんにバトンタッチ。豊洲1丁目などは昭和初期に埋め立てられたが、豊洲埠頭は戦後の1948〜1950年(昭和23〜25年)に埋め立てられました。
豊洲には東京都の電力を賄う6機の火力発電所があり、1984年(昭和59年)まで操業、1991年(平成3年)に火力発電所は取り壊されます。
また、豊洲5丁目の晴海側(がすてなーに付近)が「石炭埠頭」、6丁目の晴海側(現在の豊洲PITあたり)が「鉄鋼埠頭」と呼ばれ、現在の豊洲6丁目の東雲運河側には東京ガスの工場がありました。
芝浦工業大学附属中学高等学校
2017年4月に新豊洲駅前に開校した中高一貫校。1922年(大正11年)に、国鉄で働く人たちの子供に学問をする機会を与えようと作られた東京鐵道中学が前身。
TEPCO豊洲ビル(ビッグドラム)
世界初の50万ボルトを変電する施設。50万ボルトの地中送電線によって新京葉変電所と新豊洲変電所を結んでいます。送電線の距離は約40km。この建物に2階にはアット東京のデータセンターがありますが、見学は不可能だそうです。左にある新豊洲CUBEもデータセンター。
スカイズ タワー&ガーデン
2013年に募集したマンションのなかで一番人気のあったマンション。
東雲運河
大正から作っていた防波堤があります。かつて有明と防波堤の間に貯木場があり、貯木場が名前の由来となった「木遣り橋(きやりばし)」が2006年(平成18年)にできました。
この防波堤は都心の無人島と呼ばれており、サギやカワウなどの生息地になっていて、カヌーなどマリンスポーツも盛ん。波がないので上陸する人もいるそうです(笑)有明では東京五輪でバレーボールや体操競技、自転車競技の会場に予定されています。
東電堀
一部開放されている「豊洲ぐるり公園」を歩きながら「東電堀」へ。火力発電所を冷却する給排水場所であり、または燃料を船で運んでくる場所でした。東京都港湾局専用線の貨物列車でここまで石炭を運んできたそうです。
水陸両用バスのスロープが完成し、今では水陸両用バス「スカイダック」が運行。この東電堀から運河の中へと入っていきます!
豊洲の人口
豊洲の人口は34,000人くらいだそうです。約6,800人だった1999年(平成11年)と比べて約5倍に増えました。
さらに、2018年1月のデータでは豊洲の人口は約37,000人になっています。
セブンイレブンの第1号店
豊洲4丁目にセブン-イレブン国内1号店があります。最初のお客さんが買ったのはサングラスだったというのはあまりにも有名な話。参加者も知っていました。
センダン
豊洲5丁目の歩道に植えてあるのは防虫効果のある木「栴檀(センダン)」。インフルエンザに効くとのことで研究も進められてるんだとか。
豊洲シビックセンター
豊洲で生活する人の重要拠点。江東区役所の出張所となっています。さまざまなイベントや講座が開かれていますし、図書館はWi-Fiや電源コンセントも使えてオススメの場所です。
こちらの11階は休憩スポットになっていて、眺めも良いです。街歩きツアーのゴールはここ。
街歩きツアーを終えて
ということで、「まちあるきイベントツアー ラ・ラ・ラ もっと知りたい豊洲」を純粋に楽しんできました!曇り空でしたが、雨が降ることはなく心地良い風が吹いていて絶好のお散歩日和に。
参加者の中からは、豊洲市場や豊洲ぐるり公園の見学を切望する声が複数聞かれました。早くオープンすると良いのになぁ〜。。。とにかく、豊洲には見どころがたくさんありますし、今回巡った場所以外にも豊洲の観光スポットはぜひともたくさんの人に見ていただきたいと思いました。
→ [豊洲の歴史・遺構] 鉄道の線路がたくさん!春海橋や石川島造船所跡など写真で振り返る