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【昔の豊洲】1990年代、豊洲のすき家が酒屋だったころ

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豊洲で酒屋を営んでいた大野一夫さん・恵子さんご夫妻から、約30年ほど前に撮影された1990年代の写真をいただきました。

どれも当時の豊洲がよくわかる貴重な写真ばかり!

掲載の了承を頂戴しましたので、ご紹介したいと思います。

日本ユニシスのビルができる前

まずは、日本ユニシス本社のある「豊洲ONビル」が建設される前の様子です。着工は1989年10月、竣工は1992年7月。

建築看板には、(仮称)豊洲小野田ビル新築工事と記載されています。「小野田セメント」は現在の太平洋セメントです。

奥には晴海鉄道橋が見えますし、この角度からだいたいの位置関係がわかるかと思います。

当時は頻繁に交流会が行われていたようです。背景には、「石川島播磨重工業」(現在のIHI)の造船工場にあったクレーンがしっかり写っていますね!

すき家の場所には酒屋があった!

今の「すき家 豊洲四丁目店」が営業している場所は、もともと「小滝商店」という酒屋さんでした。

今回の写真を提供していただいた大野さんが小滝商店を営んでいたのがここ。

(大野一夫さん)

「えいたい」と書かれた看板は、旧永代信用組合。現在の「bee hair」のところです。

また、「豊洲医院」のお隣に「おこめ」と見えますね。以前はここにお米屋さんがあったみたい。

奥には歩道橋があります。これは「パティスリーSAKURA」(旧三栄堂菓子店)の前にあった歩道橋で、現在は撤去済み。

なんだか、当時の方が今よりも歩道の幅が広く見えるのですが、気のせいかな!?

男の子の写真。大野さんの息子さんだそうで、背景には大きな塀が見えますね。ここは「株式会社巴組鐵工所 豊洲工場」。

2002年に栃木県小山へと工場が移るまで、鉄骨や送電線用の鉄塔などが作られていたそうです。

その後、2005年に「スーパービバホーム豊洲店」がオープンしました。

(大野恵子さんと一夫さん)

続いて、上は1998年に朝凪橋と枝川方面を撮った写真。今とは違って、やや背の高い木が茂っている様子がわかります

大野さんは豊洲商友会(豊洲商店街)の理事をされていて、高層ビルやタワーマンションが建ち並ぶ前から豊洲を見てきました。

お店の周辺には住宅や工場の社宅が多くありましたし、当時はお酒やタバコを買う人でとても繁盛したことでしょう!

豊洲小学校と昭和大学附属豊洲病院

こちらは、豊洲小学校で行われた運動会の様子。今と比べて、生徒数は少なかったそうです。

今では同じ敷地内に豊洲小学校と豊洲幼稚園がありますが、当時、ここに豊洲幼稚園はありませんでした。

校庭の後ろには都営豊洲四丁目アパート2号棟と、5丁目へ移転する前の「昭和大学江東豊洲病院」(旧昭和大学附属豊洲病院)が見えます。奥にあるのは、豊洲センタービルです。

2021年現在、都営豊洲四丁目アパートは建て替えのための新築マンションが建設中。そろそろ完成、といったところでしょうか。歩道は広くなりそう。

すぐに形が変わる豊洲の今をしっかり覚えておきたい

「家族をメインに撮っていたので、風景だけの写真ってないのよ」と奥様はおっしゃっていましたが、当時の様子がわかる貴重な写真をご提供いただきまして本当にありがとうございました!

街の景色がほんのわずかな年月で一変する豊洲。今ある景色をしっかり目に焼き付けながら、この街がどう変わっていくのかを楽しみに暮らしていきたいです。

(写真提供:大野一夫さん・恵子さん)

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