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豊洲・晴海の消えた鉄道跡地をめぐりながら写真散歩

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芝浦工業大学は2019年5月20日、豊洲近隣の鉄道をテーマにした公開講座「豊洲の臨港鉄道をたずねて」を初開催しました。

講座ではネコ・パブリッシングの月刊『レイル・マガジン』の元編集長、日本鉄道保存協会顧問を務める名取紀之氏が講師となり、豊洲・晴海の鉄道スポットを案内していただきました。筆者は取材ではなく、いち参加者として楽しんできました!

(講師の名取紀之氏)

風が強くて時折雨が降るなか、豊洲や晴海を通っていた鉄道「東京都港湾局専用線」について名取先生のお話を伺いながら当時の面影が残る場所をめぐり、とても楽しかったです!

鉄道によって何をどこまで運んでいたのか、どんな役割を担っていたのか。また、そこではどんな人々が働いていたのかを想像することができました。

東京都港湾局専用線とは

東京都港湾局専用線は今は存在しない都営の貨物線です。

戦後、1953年に越中島駅と豊洲を結ぶ「深川線(豊洲線)」が開通し、1955年には深川線から分岐した「豊洲物揚場線(とよすものあげばせん)」も開通。そして、1957年には深川線から分岐して晴海埠頭を結ぶ「晴海線」が開通しました。

(赤いラインが東京都港湾局専用線。右上が越中島。)

1970年代、豊洲から北陸本線を通って北陸の魚津駅まで行く「とよす号」が活躍。船で持ってきた石炭を豊洲埠頭で東京ガスや東京電力でガス化し、そこで生じたコークスを魚津へ運ぶのに運行していた特別貨物列車です。

越中島駅を通過する貨物のうち約3割がとよす号が占めていたのですから、たくさんのコークスが運搬されていたかがわかります。

歩くと当時の鉄道が見えてくる、豊洲と晴海

豊洲運河で見ることができる深川線・橋脚

埋め立てにより豊洲埠頭ができたのは戦後。資源やエネルギーなど復興に必要なものの多くが豊洲に集められ、作られ、各地に運ばれました。石炭、鉄鋼、電気、ガス。

そんな豊洲と越中島の貨物駅を結ぶ深川線の通っていた跡を見ることができるのがここ。豊洲運河を越える橋の跡が今も残っています。

豊洲北小学校の裏手になりますが、豊洲運河では当時の橋脚をそのままの状態で見ることができるんです。

(豊洲運河の橋脚。奥が越中島方面、手前が豊洲。この上に橋がかかり、鉄道が走っていた。)

そして、この豊洲北小学校の横がまさに深川線と晴海線にわかれる分岐点だったわけなんですね。

歩道には当時の分岐を想起させる線路がオブジェとして埋設されています。

(豊洲北小学校横。手前が越中島方面、奥が晴海方面)

 

(地図の右が越中島。左が晴海へ)

今もそのまま残る春海橋

晴海線はそのまま豊洲3丁目を西へと進み、江東区と中央区をまたぐ「春海橋」を越えて、晴海埠頭へと続きます。

東京都港湾局専用線の産業遺構としてよく写真やニュースで登場するのはこの春海橋。橋も線路の当時のまま残っています。

1960年代、晴海埠頭では魚など保冷品を入れる冷蔵車をはじめ、小麦などが運ばれていました。また、重要なのは新聞に使う巻取り紙も。晴海から新聞社の印刷工場に運ばれていたそうです。

晴海側から見た春海橋(↓)。手前の斜めになっているコンクリートの壁は当時の線路がこの角度で曲がりながら伸びていたことを表しています。

当時、豊洲や晴海はただ歩いているだけでも職務質問されたんだとか。そのくらい物資が行き交う重要な場所だったんですね。

作業場であるヤードと動力車の整備などを行う機関区のあった場所は今まさにBRT(バス高速輸送システム)のターミナルおよび東京オリンピック・パラリンピックの駐車場関連の工事が行われています。

倉庫街の面影が残るこちらでは、写真真ん中のアスファルト下に薄っすらと線路の跡が見えます。↓

その晴海ですが、今やオリンピック・パラリンピックの選手村が建設中。倉庫エリアもいずれなくなるのでしょう。

なお、晴海線が廃線となったのは1989年(平成元年)2月で、わりと近年まで運行していたのだから驚きです!

資源・エネルギーの中心、豊洲埠頭へ

晴海大橋を渡って新豊洲駅前へと移動します。ここは豊洲埠頭。

6本の煙突がランドマークになっていた東京電力の火力発電所があった場所は今は東電堀と言われています。↓

昭和大学江東豊洲病院の前は豊洲物揚場線があります。当時使われていた桟橋の跡もそのまま残っています。ここで船と積荷のやり取りが行われたんでしょうね。

また、今回は行きませんでしたが、豊洲市場のあたりは鉄鋼やガス生産が行われ、日本の戦後復興から高度経済成長に大きく寄与しました。

羽田空港アクセス線は簡単に開通できたかも

実現しませんでしたが、当時は現在の有楽町線のルートで専用線を走らせる「月島線」の計画があり、また、東京貨物ターミナルと東京外環状線をつなぐ今のりんかい線のルートでも貨物線の建設が計画されていたんだとか。

つまり、もし東京都港湾局専用線が今も残っていてその先の計画がすべて実現していたら・・・

今話題の羽田空港アクセス線が簡単に開通していたかもしれませんね!という名取先生のお話がめちゃくちゃ面白かった!

自動車の普及やエネルギー需要のシフトによって廃線となった東京都港湾局専用線ですが、今になって再びこの地域で鉄道が注目されているのはたいへん興味深いものがありました。

ちなみに、今回は「イラストで巡る 東京都港湾局専用線の今昔 完全版」で知られるイラストレーター、豊洲機関区さんがサポートされていて、随所でイラストを用いた解説も!まさかここでお会いできると思っていなかったので、ご挨拶できて嬉しかったです(^^)

あいにくの曇り空でパッとしない写真が多くなってしまったのは残念でしたけど、また晴れた日に同じ場所を撮影して回ろうかなと思っています。たいへん楽しい公開講座でした!

豊洲の鉄道に関しては当サイトでも何度かご紹介し、今も残っている観光スポットとして記事をまとめています。ぜひ、こちらもどうぞ♪

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